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野村監督の訃報に涙した理由

野村監督が亡くなったというニュースを見ました。
とても悲しいです。

野村監督にはお会いしたこともなければ、直接の関わりもありません。
それでも、私にとって思い入れのある存在でした。

なぜかというと——
私の恩師に、とても雰囲気が似ているからです。


時は2008年。
私が2社目で入社した会社で、Kさんという上司に出会いました。
私を直接面接し、採用してくれたのがKさんでした。
当時64歳。

入社からの1年半、私はKさんのすぐそばでみっちり仕事をしました。
その1年半は、私の人生を大きく変える時間でした。
仕事の姿勢、考え方、人との付き合い方、情報収集の方法……
あらゆることを叩き込まれ、成長させてもらいました。


もちろん、当時は大変でした。
人使いは荒く、
「なんでそんなこと言うんだ!」
「意地悪な上司だな!」
と何度も思いました。
辞めたい、逃げ出したい——そう考えたことも一度や二度ではありません。

それでも今振り返ると、あの厳しさこそが素晴らしい指導でした。
Kさんは「教える」というよりも、「気づかせる」人でした。
今の私があるのは、間違いなくKさんのおかげです。
恩師と呼べるのは、人生で唯一、Kさんだけです。


しかし、2015年12月2日。
Kさんは亡くなりました。

そんなKさんが、野村監督の大ファンでした。
ある日、Kさんが読み終えたばかりの野村監督の本をカバンから取り出し、
「これ、読んでみなさい。おもしろいから。」
と渡してくれたことを、今も覚えています。


Kさんは、どことなく野村監督に似ていました。
雰囲気も、人を育てるうまさも。
実際に私を大きく育ててくれましたし、野村監督もたくさんの選手を育てました。
直接お会いしたことはないのに、勝手ながら「野村監督はきっとKさんのような人だ」と想像していました。

だから、今回の訃報がとても悲しいのです。
もう、Kさんも、野村監督もいない……
寂しさが胸に広がります。


久しぶりにKさんのことを思い出しました。
私の中には、今もKさんのスピリットが息づいています。
今会えたなら、独立して仕事を頑張っていることを報告したい。
かつて“超できの悪かった”私が、独立して一人で仕事をしているなんて、きっと驚くでしょう。

野村監督の訃報を聞き、私がKさんを亡くしたときと同じような気持ちになる選手は、きっと多いはずです。
それだけ、多くの人を育ててこられた方でした。

心よりご冥福をお祈りいたします。

この記事を書いた人

 ・Webマーケ × 撮影(写真/動画)の実務家
 ・広告導線の設計から広告素材制作までワンストップ
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